top < ガウディの全作品リスト
最終更新日: 2007年9月24日

■ガウディは寡作といわれるが、本当にそうだろうか。確かに、完成まで携わった建築物は少ないかもしれぬ。しかし、フランシスコ・ベレンゲールを筆頭とする「ガウディ組」の面々が、建築物を竣工させてきたのは事実である。  ■ここにピックアップされたガウディの作品は、彼が中学生時代から死に至るまでの、すべての作品を掲載している(つもりだ)。このリストは主に『ガウディ全仕事』という2冊組みの全集を基につくられている。 ■ここでは、ガウディの作品について、ただ実直に年代を追ってリストアップしてみた。一つひとつの事例を、自分の年代に照らし合わせるのも一興かも。さてさて、自分自身のキャリア、あるいは年賦をつくってみてはいかが?

No
年齢
全作品
1
1867 15歳 学生週刊誌『エル・アルレキン』のデッサン(記録はあるが現存しない)
2
1869 17歳 ボブレット・サンタ・マリア修道院修築計画
1872〜77 20〜24歳 バルセローナ県立建築専門学校で学ぶ
1872〜77 20〜24歳 エウダルド・プンティのアトリエで実地の仕事を学ぶ
3
1874 22歳 枝つき燭台と水槽の設計(記録はあるが現存しない)
4
1875 23歳 県議会所有地などの区画整理図の作成
5
1875〜82 23〜30歳 シウダデーラ公園(現場監督はホセ・フォンセレー)
6
1876 24歳 県議会堂の中庭の設計
7
1876 24歳 桟橋の設計
8
1876〜77 24〜25歳 モンセラット修道院のアプスと聖母祭壇裏の設計(建築家はビリャール)
9
1876〜79 24〜27歳 日記風ノート(レウス市立博物館収蔵)
10
1877 24歳 カタルーニャ広場の噴水の設計
11
1877 24歳 大学講堂の設計(卒業制作、10月〜11月)
1878 25歳 3月15日、建築家の資格を取得する
12
1878 25歳 自家用に家具と机の設計
13
1878 25歳 サンタンデールのコミーリャス侯爵家廟墓礼拝堂ベンチと祈祷台の設計
14
1878 25歳 聖遺物箱の設計
15
1878 25歳 3月29日、マタロ労働者協同組合の住宅・工場の設計
16
1878 25歳 5月、生花店用キオスクと共同便所の設計
17
1878 26歳 6月、レアル広場街灯の設計(Farolas de la Plaza Real)
18
1878 26歳 7月、パブロ・ミローのフィンカの小建築と入口の設計
19
1878 26歳 コメーリャ手袋店ショーケースのデザイン
20
1879 27歳 ヒベルト薬局の装飾(写真のみ現存)
21
1879 27歳 詩人ビセンテ・ガルシアを記念する騎馬行列のデッサン
22
1879〜81 27〜29歳 ヘスス・マリア学校礼拝堂の装飾(サン・アンドレース)
23
1879〜82 27〜30歳 ヘスス・マリア中・高校礼拝堂祭壇と木製聖体顕示台(タラゴナ)
24
1880 28歳 オレーサの病院とビラフランカ市役所の見取り図(現存しない)
25
1880 28歳 バルセロナ港防波堤照明街燈の設計
26
1881 29歳 サン・セバスティアン市のクラブ・ハウスのコンペ参加
27
1881 29歳 「ラ・レナイシェンサ」に装飾美術展に関する文章(発表した唯一の文章)
28
1881 29歳 コミューリャス邸のパビリオンの設計
29
1882 30歳 バルセロナ大聖堂の図面ドラフト
30
1882 30歳 ガラフの狩猟小屋の設計
31
1882 30歳 ベネディクト修道会の修道院・教会の設計(マルトレイの助手として)
32
1883 30歳 4月1日、ロセール家のフィンカの2枚の地形図
33
1883 31歳 7月、アレーリャのサン・フェリス教会の祭壇デザイン
34
1883 31歳 パジェス邸の設計(この頃、マタロの工場建設を監督)
35
1883〜85 31〜33歳 カサ・ビセンス(Casa Vicens)
36
1883〜85 31〜33歳 エル・カプリチョ(El Capricho)
1883 31歳 11月、サグラダ・ファミリア贖罪聖堂の主任建築家に任命される
37
1883〜1926 31〜73歳 サグラダ・ファミリア贖罪聖堂(Sagrada Familia)
38
1884 32歳 タラゴーナ市のための祭壇の設計
39
1884〜87 32〜35歳 グエル別邸(Finca Güell)
40
1885 33歳 ボカベーリャ家の小礼拝所の設計
41
1885 33歳 マタロー協同組合の一室の装飾
42
1885 33歳 食堂テーブルのデッサン
43
1886〜89 34〜37歳 グエル館(Palacio Güell)
44
1887 36歳 カディス海洋博の大西洋横断社展示館の設計
45
1887〜93 36〜42歳 アストルガ司教館(Palacio Episcopal de Astorga )
46
1888 36歳 サロン・デ・シエントの議長用大椅子の製作
47
1888 36歳 バルセロナ海洋博の大西洋横断社展示館のモンタージュ
48
1888〜90 36〜38歳 テレーサ学院(Collegio Teresiano)
49
1891〜93 39〜41歳 カサ・ボティネス(Casa de los Botines)
50
1892〜93 40〜41歳 タンジールのフランシスコ会ミッションの建物の設計
51
1893 41歳 グラウ司教の柩舎の設計
52
1894〜97 42〜45歳 一連の改修計画案の作成
53
1895〜1901 43〜49歳 グエル酒蔵(Cellers Güell/Bodegus Güell)
54
1895 43歳 モンセラット山の記念碑考案
55
1898〜1900 46〜48歳 カサ・カルベ(Casa Calvet)
56
1898〜1914 46〜62歳 コロニア・グエル教会地下聖堂(Cripta Colonia Güell)
57
1899 47歳 アレーホ・クラペース家の設計
58
1900 48歳 フォント・イ・サゲー神父の初ミサ記念の御絵のデザイン
59
1900 48歳 ペドロ・サンタロー家の改修設計
60
1900〜02 48〜50歳 ミラージェス(Porta Finca Miralles)家のための装飾デザイン
61
1900〜06 48〜52歳 慈悲の聖母聖堂ファサードの設計
62
1900〜09 48〜57歳 ベジェスグアルド邸(Bellesguard)
63
1900〜14 48〜60歳 グエル公園(Parc Güell)
64
1901 49歳 サン・フェリウ・デ・コディーネス合唱団旗のデザイン
65
1901〜02 49〜50歳 フィンカ・ミラージェスの外壁の門(Finca Miralles)
66
1901〜02 49〜50歳 カステイドスリウス公爵家の内装
67
1902 50歳 バル・トリノの内装
68
1903〜14 51〜60歳 パルマ・デ・マジョルカ大聖堂の修復(Restoracion Catedral de Mallorca)
69
1904 52歳 サラ・メルセー小劇場
70
1904 52歳 グエルのシャレーのモデルの設計
71
1904 52歳 グラネールのシャレーのモデルの設計
72
1904 52歳 パディーア兄弟の工場の設計
73
1904 52歳 カトゥリャラースの避難小屋
74
1904 52歳 ポット通りの家の地下改装
75
1904〜06 52〜54歳 カサ・バトリョ(Casa Batlló)
1905 53歳 ジュゼッペ・マリア・ジュジョールが仕事に加わる
76
1905 53歳 ピック大聖堂壁画の調査
77
1905〜10 54〜59歳 カサ・ミラ(Casa Milà)
78
1906 54歳 ポメレート川水道橋の設計
79
1906 54歳 ハルマール・イ・オムス神父の上祭服のデザイン

80

1906 54歳 ミゲール・マテウの家
81
1906 54歳 モンセラットの「栄光の第一秘跡」(Primer Misterio de Gloria en Montserrat)
82
1907 55歳 征服王ハイメ一世生誕700年を祝う記念碑
83
1908 56歳 テレサ修道院礼拝堂の設計
84
1908〜10 56〜58歳 ニューヨーク・グランド・ホテル計画案
85
1909 57歳 サグラダ・ファミリア付属小学校
86
1910 58歳 パリでガウディ展(4月15日〜6月30日)
87
1910 58歳 ハイメ・パルメスの記念碑
88
1910 58歳 ロザリオ記念碑の設計とグエルの紋章のデザイン
1911 59歳 マルタ熱に冒されプッチセルダー村で療養
1912 60歳 この頃からサグラダ・ファミリア聖堂の工事に傾注する
89
1912 60歳 ブラネス教区教会の説教檀二基の設計
90
1912 60歳 ノネーイ家の霊廟の設計
1914 61歳 2月8日、フランシス・ベレンゲール没す
1918 66歳 7月8日、エウセビオ・グエル没す
91
1918 66歳 カステイテルソールの記念碑のスケッチ
92
1918 66歳 鉄道駅の建設計画案
93
1921 69歳 聖母マリアに捧げる教会の設計案
94
1922 70歳 演壇のデザイン
95
1922 70歳 カルベ家の労働者コロニー礼拝堂の製図
96
1922 70歳 カタルーニャ合唱団の記念アルバムのデッサン
97
1924 71歳 バレンシア教会堂の説教檀
1926 73歳 6月7日、市電にはねられる。6月10日、午後5時、ガウディ没す(享年73歳)
1926 没後 早稲田大学今井兼次氏、バルセロナ訪問。ガウディにいち早く注目す
1936 没後10年 7月19日、墓が暴徒に暴かれ、1939年1月まで放置される。資料破壊さる
1939 没後13年 1月、破壊されたサグラダ・ファミリア聖堂に改めて埋葬し直される
1977 没後51年 ニューヨークにて大ガウディ展。ほとんどすべての資料が集められた
1978 没後52年 日本でガウディ展開催さる。以後、大衆に大きく認知される
以上は『ガウディ全作品』(六耀社)を主な資料としている。

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