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最終更新日:
2007年9月24日
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■ガウディは学費を捻出するためにアルバイトに精を出した。ガウディの緻密な計算能力と非凡な発想は、学生の頃から注目されていた。■26歳で建築家となってからの10年は、イスラムやムデハルの新しい様式(ネオムデハル様式)を駆使し、伝統と流行を融合させたレンガ造り建築を手がけた。 | ■31歳で「サグラダ・ファミリア」の主任建築家に抜擢される。こうして永久就職が決定し、ほかにも大きな仕事を請け負い、建築家としての実績を積み始める。■時代を満喫した頃でもあったが、現場が性にあっていたらしい。■放物線や双曲面、螺旋面、線織面を使った建築が試みられる。 | ■コロニア・グエル教会を設計するにあたって、フニクラという逆さ吊り実験が十年以上の歳月を費やして行われた。自然に学び、自然や重力と調和した建築物を意識的に目指す。■重力を支える傾きと曲線を持った柱は、周囲を驚かせた。ガウディはどの時代においても先進性を発揮した。 |
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年 |
年齢 |
主な作品 |
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1852 | 0歳 | 6月25日、タラゴナ県レウスに生まれる。 16歳のときバルセロナへ上京し、翌年、建築学校予科へ進学する |
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1 |
1875〜82 | 23〜30歳 | シウダデラ公園(Parque de la Ciudadera) 工匠フォントセレーの助手として鉄柵・落水館の設計などを手がける。 プンティ工房で生涯の友となるロレンソ・マタマラと知り合う。 |
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1878 | 25歳 | 3月15日、建築家の資格を取得する | ||
2 |
1878 | 26歳 | レアル広場の街灯(Farolas de la Plaza Real) 施工はプンティ工房。 |
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3 |
1878 | 26歳 | コメーリャ革手袋店のショーケース 施工はプンティ工房。同年開催されたパリ万国博覧会に出品され、グエル氏(当時32歳)との運命的な出会いを果たす。 |
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4 |
1878〜85 | 26〜33歳 | マタロ労働組合社(La Obrera Mataronense) ガウディがパラボラアーチを初めて採用した建築物。 2007年に修復された。 |
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5 |
1883〜85 | 31〜33歳 | カサ・ビセンス(Casa Vicens) :世界文化遺産 |
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6 |
1883〜85 | 31〜33歳 | キハーノ邸 エル・カプリチョ(El Capricho)奇想館 %右の写真は「ガウディ全仕事」より一部転載 |
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1883 | 31歳 | 11月、サグラダ・ファミリア贖罪聖堂の主任建築家に任命される | ||
7 |
1883〜1926 | 31〜73歳 | サグラダ・ファミリア贖罪聖堂(Templo de la Sagrada Familia) |
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8 |
1884〜87 | 32〜35歳 | グエル別邸(Finca Güell) :世界文化遺産 |
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9 |
1886〜89 | 34〜37歳 | グエル館(Palacio Güell) :世界文化遺産 |
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10 |
1887〜93 | 36〜42歳 | アストルガ司教館(Palacio Episcopal de Astorga ) %右の写真は「ガウディ全仕事」より抜粋 |
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11 |
1888〜90 | 36〜38歳 | サンタ・テレーサ学院(Collegio de Santa Teresa de Jesús) |
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12 |
1891〜93 | 39〜41歳 | カサ・ボティネス(Casa de los Botines) |
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13 |
1892〜93 | 40〜41歳 | フランシスコ派伝道会館タンジール計画案 (Proyecto para Misión Franciscana de Tánger) |
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14 |
1895〜1901 | 43〜49歳 | グエル酒蔵(Cellers Güell/Bodegas Güell) |
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15 |
1898〜1900 | 46〜48歳 | カサ・カルベット(Casa Calvet) | |
16 |
1898〜1914 | 46〜62歳 | コロニア・グエル教会地下聖堂 (Cripta Colonia Güell) :世界文化遺産 10年の実験の後、着工は1908年。 |
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17 |
1900〜09 | 48〜57歳 | フィゲーラス邸 ベリェスグアルド(Bellesguard) | |
18 |
1900〜14 | 48〜60歳 | グエル公園(Parc Güell) :世界文化遺産 |
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19 |
1901〜02 | 49〜50歳 | ミラーリェス邸の外壁門(Puerta de la Finca Miralles) | |
20 |
1903〜16 | 51〜64歳 | モンセラットの「栄光の第一秘跡」 (Primer Misterio de Gloria en Montserrat) |
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21 |
1903〜14 | 51〜60歳 |
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22 |
1904〜10 | 52〜58歳 | ロベルト博士のモニュメント(Monumento al Dr. Robert) |
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23 |
1904〜06 | 52〜54歳 | カサ・バトリョ(Casa Batlló) :世界文化遺産 |
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1905 | 53歳 | ジュゼッペ・マリア・ジュジョールが仕事に加わる | ||
24 |
1905〜10 | 54〜59歳 | カサ・ミラ(Casa Milà) :世界文化遺産 |
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25 |
1908 | 56歳 |
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26 |
1908〜09 | 56〜57歳 | サグラダ・ファミリア付属小学校 |
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1910 | 58歳 | パリでガウディ展(4月15日〜6月30日) | ||
1911 | 59歳 | マルタ熱に冒されプッチセルダー村で療養 | ||
1912 | 60歳 | この頃からサグラダ・ファミリア贖罪聖堂の工事に傾注し始める | ||
1914 | 61歳 | 2月8日、フランシス・ベレンゲール没す | ||
1918 | 66歳 | 7月8日、エウセビオ・グエル没す | ||
1926 | 73歳 | 6月7日、市電にはねられる。6月10日、午後5時、ガウディ没す(享年73歳) | ||
1936 | 没後10年 | 7月19日、墓が暴徒に暴かれ、1939年1月まで放置される。資料破壊さる | ||
1939 | 没後13年 | 1月、破壊されたサグラダ・ファミリア聖堂に改めて埋葬し直される | ||
1977 | 没後51年 | ニューヨークにて大ガウディ展。ほとんどすべての資料が集められた | ||
1978 | 没後52年 | 日本でガウディ展開催さる。以後、大衆に大きく認知される |